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剣鉾

  八大神社には「柏」「龍」「菊」の三基の剣鉾があります

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以下、八大神社「御鎮座七百年記念誌」 『下御霊神社宮司出雲路敬直氏著「剣鉾考」「剣鉾と祇園祭の鉾」』 より引用・再編

京都の剣鉾と数
京都には、剣鉾と神輿の巡行による祭が多くあります。神幸列の先頭を行く「剣鉾」は、京都に分布する特殊な祭具です。現在、京都市内の三十数社に約二百本余りの剣鉾が確認されています。「留守鉾」と称する複数の鉾を有するところもあります。その総数は三百本にも達すると見られています。(京都市文化財保護課調査)

用途
剣鉾の本来の用途は、「悪霊を鎮めること」にあります。剣鉾が御霊信仰や天王信仰系統の神社に多いことでもわかります。八大神社は八大天王です。悪霊を威嚇する威力は形で示されなければなりません。古代の鉾は、実用的な利器というよりも呪術という動作が加わってきます。

鉾差しの保存と養成
鉾差しの技術保存と後継者育成が現在の大きな課題です。今に残す昔の鉾差しの技法を讃え、後世に受け継がれることを願って「子ども用剣鉾」五基が京都市文化財保護課より贈られました。鉾差しの方々はPTA地域委員会にお願いして、6年生男児を対象にした鉾差しの養成に乗り出し、毎年、祭礼前から練習を行っています。


剣鉾巡行

神輿・剣鉾 巡行経路

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剣鉾の起源と名称

起源
剣鉾の起源は、祇園御霊回の鉾に由来しています。すでに平安中期には原始的な剣鉾がありました。往事にさかのぼる現品については、確認することは困難です。加賀前田家伝来の「祭礼草紙」・上杉家伝来の「洛中洛外図屏風」に描かれた室町末期の剣鉾が現在も伝わる姿に近いです。

名称
「剣鉾」の名は、その形から発生したもので一般名称として用いられています。差するところからの「指鉾」、振るところからの「振鉾」などの名もあります。



剣鉾の各部と名称
基本的な形態
[剣] [飾] [受金と額] [鈴] [棹] [吹散] の六つの要素から 成り立っています。
龍鉾

剣鉾の各部と名称


技法
八大神社の剣鉾は、剣を固定させてさらに剣先の弾力性を強固にするために、以下のような技法を用いています。

・宗竹を長さ約80センチ、幅約4センチ、に割った竹板2枚で剣の下部をはさむ。
・さらに、棹の中に深く差し込む。




先端の剣は剣先とも言われ、最も重要な要素です。剣が前後に振られる姿から「まねき」と呼ぶのも、剣が神を招くという霊力を感じている証拠です。

長さ・幅
長さ1〜2メートル、上部の張り出しの幅30センチにも及ぶ大きな鉾形です。

厚さ
厚さは根もとで5ミリ前後、先端は1ミリ未満という薄い金属板からできています。上部に薄く下部に厚い、という剣の形態は、圧延ではなく鍛造でなくてはなりません。鍛造の過熱の火力には稲藁を使用します。

材質
金属の材質は銅と亜鉛の比率を「7:3」とした真鍮が標準とされています。この比率は、棹を振ることによって前後に折れ曲がるという条件を満たすためです。




受金と額
剣を棹に固定するための受金は、額と組み合わされることが多いです。額には神弓や神社名が記されます。その周縁には精巧な金工技術が施されています。受金は剣の茎が額を突き刺してくるために、額と棹の安定をはかろうとして、上に大きく下に小さい形態を必要としています。

「州浜」「かぶら」という呼称
その形から「州浜」とか「かぶら」とか呼称しています。上に2つ、下に1つ、の丸形の紋章を組み合わせて「州浜」という呼称を作り出しています。また、額と受金を一体化して上が大きく下が小さい逆三角形を作って角を丸めた形から、京野菜の蕪を連想して「かぶら」の呼称があります。


飾は花とも呼ぶ、受金の両側に大きく張り出した金具で最も目立つ部分です。その意匠によって鉾の名称となっています。動物・植物・形象・伝説など数多くあります。八大神社には「龍」「菊」「柏」の三基があります。




棹・鈴
石突は少々細く、鉾差しは腰に巻いた帯の前に、袋状(「壺」と呼称)のところに石突きを差し入れます。棹の一番太い中央部分、直径約13センチくらいで、両手で支えて腰の力で剣を振ります。 剣を、前後に折れ曲がるような振り方をしながら、鈴を左右に二回ずつ八の字型に棹に押し当てて音を発するのが最高の技術とされています。

鉾差しは上方の剣先、鈴の振れ方を見つめながら前へと歩み、傍らの鉾差し控えが安全な道案内をつとめます。

鈴は小さな的鐘形に舌がつき、棹に当てながら舌も音を発するという二重構造になっています。この鈴の音は、金属音を発することによって霊魂を鎮めるという意味も持っています。

剣鉾の原型から考えると、棹は2メートルくらいの太い棒であったのかもしれませんが、差すという動作を加えることによっておよそ5メートル前後になっています。黒漆塗りに螺鈿や金具を施した豪華なものもあります。




吹散
「旗」「幟」「鰭」「比礼」「見送り」などいろいろに呼称されています。棹に下げられた小さな布袋が長くなり、現在では幅40〜50センチ、長さ5メートルにも及ぶようになりました。下の方は軸に巻いて伴の者が両手で支えています。

もとは幟のように垂らしていたので、風によって吹き散らされるところから「吹散」の名称が生まれました。生地は単なる平織りでしたが、豪華な織物を用いるようになりました。特に西陣一帯の剣鉾の吹散にはその町の職人が一世一代の腕の見せ所と競い合って織り上げた名品が現在も残されています。




八大神社剣鉾と京都の関わり

八大神社の剣鉾は、古い歴史と伝統の技法を今に残している「鉾差し」によって神輿の先駆けとして巡行します。その姿は、京都市内の神社では数少なく貴重な存在です。古い歴史と昔の姿そのままの技法を今に伝承している剣鉾と鉾差しは、八大神社の大きな名誉とするところです。

昭和61年(1986年)
京都市文化財保護課より推薦を受けて、京都市社会教育総合センターで開催された「京都の祭 剣鉾展」に一基が展示され、広く京都市民に鑑賞していただく栄に浴しました。また、同センター前にて剣鉾差しが実演され、京都新聞に報道されました。

昭和63年(1988年)
京都市の伝統芸能にも指定され、京都会館第一ホールの舞台で、剣鉾差し・宮座の奉幣式の鉦と太鼓が実演されました。二巡目の第43回国民体育大会が西京極グランドで開催された時、京都国体を奉祝し飾るものとされました。剣鉾三基が祭の服装に威儀を正して、宮座の奏する鉦・太鼓と共に大空に届けとばかりに剣鉾が差されました。広いグランドを歩み、観覧する京都府民を始め全国の方々より大きな拍手喝采をいただきました。
なお、第43回国民体育大会に協力参加について、京都府知事より八大神社氏子会に対して感謝状をいただきました。また、第24回全国身障者スポーツ大会に参加についても、京都府知事・京都市長より八大神社に対して感謝状をいただきました。
京都国体の後、 子ども用剣鉾五基が京都市文化財保護課より贈られました。今に残す昔の鉾差しの技法を讃え、後世に受け継がれることを願って贈られたものです。さっそく鉾差しの方々はPTA地域委員会にお願いして、6年生男児を対象にした鉾差しの養成に乗り出し、毎年、祭礼前から練習を行っています。


一乗寺八大神社剣鉾保存会は、京都市教育委員会より京都市文化財登録証書が贈られています。登録証書は八大神社に掲額保存されています。


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